おぽぽ

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時系列グズグズブログ

2012年12月26日水曜日


ツナデさまから目が光る巨大ねこうさぎをいただきました。

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enchant.jsを使用してゲームを作りました。


お試しアレ。

以上です。

2012年8月1日水曜日

ライブ、一度最後に

8月2日のライブをもって、一度、ライブはお休みにする。
次のライブは未定。
やるかやらないかも未定。
やるとしても今までの形態でする確率は低い。
ということで、今使っているシステムの配線図を描いた。
http://you.ogasawa.la/haisen.jpg
いろいろ紆余曲折あり、この形になっている。
本当はドラムをステレオで出したいが、そうするとベースもPAに渡さなくていけなくなるので、それは嫌だった。
ベースはアンプから出したい。
心残りはループした音を加工することがなかったこと。
最終的なアウトの部分にエフェクターをかませればいいだけの話なのだが、操作や持ち運び、セッティング等の問題で成せるまでに至らなかった。

この期間は進化や成長といったことに必要な期間だ。
蝶が羽化するように完全に変態するかもしれないし、蛇の脱皮のように姿は変化しないかもしれない。
その間に外敵にやられて死ぬかもしれない。
何しろ、自分の意志でライブをしないことを決めたのは初めてだから、このライブ休止がどのような結果をもたらすのかわからない。
学生時代からやっていたバンドでも、よほどのことが無い限り、ライブは続けていた。
というか、性格的に断れなかった。
特に一人で活動している現在は、断る理由があまりできない。
メンバーの予定が…、と言えればラクなのだが、嘘は吐けない。
というかメンバー自分だけなので。
だからと言って嫌々続けていたわけではなく、もちろん、前提としてライブを常にしていたい気持ちがあったから続けていたのだ。
また、ライブハウスのブッキングの方々も、一人でも活動しやすいように、いろいろな配慮をしてくれていた。
時間の都合だったり、金銭的な都合だったりで、その都度対処してくれた。
その厚意に誠意をもって応えたかったというのもあり、あまり断ることはなかった。

今まで、ライブ前提の曲作りをしていた。
ギター、ベース、ドラム、声。
しかも今のシステムでは同時に一度の楽器を鳴らすことができない。
コードが途中から変えられない。(逆再生すればできないこともないが…。
など、いろいろな制約があった。
制約の中でどんな曲を作れるかが楽しみでもあった。
あのフレーズをこのパッチにまとめればもうワンフレーズ増やせる。
フットスイッチをもう一つ増やせばドラムを叩きながら操作できる。
ミキサーを使えば声がアンプから出せる。
など。
試行錯誤するのが楽しかった。
しかし今の気持ちはそれとは逆で、再現するの必要のない環境で音楽を作ってみたいと思っている。
いろいろな音色を使いたいし、同時にいくつもの音を出したい。
逆に一つの楽器で曲を作ったりもしてみたい。
そういった、当たり前にできることが、今までできなかったのだ。
でも、そうやって作った曲も、最終的にはライブ会場で演奏したいと考えている。

音楽のジャンルなどを選べれば今のシステムでも自由に演奏できたのかもしれない。
ミニマルミュージックだったりダンスミュージックだったり。
しかしそれには至らなかった。

現在は最後のデモ(三曲入り)を作成しつつ、新しい曲を作っている。
デモは8月中に出来上がるだろう。
多分、ウェブで無料ダウンロードできるようにする。
新しい曲はアルバムとして販売する予定。
今まで作ったデモはお金をもらうことがなかった。
単純に聴いてもらいたかったし、聴いてくれれば嬉しかったからだ。

制約の話だが、今の演奏形態での制約の他に、既成概念的なもので縛られていた部分がある。
曲の長さだったり、構成だったり。
頭の中で流れている音楽は、本当はもっと自由で単純で自然なものなのだ。
不必要に体裁を整える必要はない。
良いワンフレーズが浮かんでもそこから先が浮かばず消える曲がある。
その時に、もう、その良いワンフレーズだけでいいのではないかと思う。
何か足りなければ付け足せばいいし、余計なものがあれば削る。
一つの曲にすべてを注ぎ込むのではなく、曲の集合体が音楽に聴こえればいいのだと思う。
小さい作品もあれば大きい作品もあるだろう。
不細工だったり格好良かったりするだろう。
その一つ一つを完成させていくのだ。
長い人生をかけて音楽を作り続けるというのは、そういうことなのではないかと思う。

自分のお気に入りの曲を作れれば良い。
そのお気に入りの曲を、誰かが気に入ってくれればさらに良い。
気に入ってお金を払ってくれればもっと良い。
基本的な考えとしては、芸術の自給自足をしていきたい。(音楽に限らず
自分の畑で穫れた野菜を自分で食べるように、自分で作った曲を自分で聴いて楽しむ。
うまい野菜が穫れたら近所にお裾分けする。(今の無料デモの概念はこれにあたる。
ただその野菜を食べてうまい!と言ってほしいだけだ。
そして、お金を出すからまたあのうまい野菜作ってよ、と言われる。
そこで客と売り主の関係が誕生する。
そんな感じでやっていきたい。
農業に一発屋はない。
1000個収穫したうちの1個のキャベツだけ極上に旨いとか、この年に穫れた野菜だけめちゃくちゃ旨くてそれ以外の年は売り物にならんくらいまずいとか、そういったことはない。
とにかく耕して試行錯誤するのだ。
うまい野菜が穫れるまで。
もしかしたら土地を移らなければいけなくなるかもしれないし、条件によっては何年も作物が実らないこともあるだろう。
それでも作り続けるしかない。

とりあえず、最後のライブ、出し切ってこようと思う。

終了

2012年7月21日土曜日

部屋を片付けた、というか、変えた

実家で暮らしているので今の部屋に14年くらい住んでいる。
元々は三人兄弟で一つの部屋だったが、改築がありそれぞれの部屋をもらった。
当時中学二年生か、あまり覚えてない。

その日からずっとこの部屋で暮らしている。
一人暮らしはしたいと思っていたが、実家が東京で特にする必要がないのでしなかった。
自分の意志だけではなかなか決定できなかった。
多分何かきかっけがないと出来ない類のものだろう。

そんな具合で月日が過ぎた。
大掃除なんてものはあまりしたことがない。
整理や掃除はするが、溜め込んだものを捨てる機会がなかった。
その前にあまりモノを捨てられないのだ。
今捨てる必要ないだろうとか、とりあえずとっておこうとか、いつか使うときがあるんじゃないかとか、もし捨てて使う時があったらやだな、とか。
そういった理由でモノが増えていった。

ほぼ全て捨てた。
何日もかかった。
一部の壁も塗った。
先日のケンブリッジで泊まった部屋が全て白くペイントされていて、とても素敵だったのでそれを真似た。
具体的に言うと、天井と壁のつなぎの部分が木目のプラスチックだったのだが、そういった部分を白く塗った。
壁と天井の境界がなくなり、空間が広く感じられるようになった。
窓枠やクローゼットの縁、カーテンレールに関しても同じように白く塗った。
それぞれの輪郭がなくなり、一つの箱になった。
クローゼットは扉をはずして空間を広くした。

何年も壁にかけておいた絵(自分で描いたもの)をはずし、いくつもの止まった時計をはずした。
今の壁には何もかけていない。
画鋲やネジによる無数の穴があいているだけになった。

習慣的に時計のある方を向いてしまうのだが、そこには白い壁しかない。
ほんの一瞬だが、時間がどこにあるのかわからなくなる。
重力のように当たり前のようにそこにあったものから不意に解放されてしまった。
違う場所に時計は置いてあるのだが、時間の質が変わったような気がした。
というか、時間の流れが早くなった気がする。
慣れていないだけか。
もしかしたら時計を見る頻度で時間の流れの感じ方が変わるかもしれない。
もちろん、ずっと時計を見て過ごす一日と一度も時計を見ないで過ごす一日は違うのだろうけど。

モノを捨てるのは自分が死んでから遺族が整理する時だろうと思った。
生きてるうちに捨てるつもりなどなかった。
なので、モノを捨ててる時は、自分が死んだ気持ちになった。
あいつはこんな人生を送っていたのか、という気持ち。
こんな絵を描いていたり、こんな本を読んでいたり、こんな曲を聴いて生きてきたんだな、という気持ち。
自分がこんなに早く死ぬとは。
というか生きてるうちに死ぬとは思っていなかった。

今回のことで、生きてるうちにすべて捨てるのが良いと思った。
長い時間をかけてでも、持っているものはすべて捨てていく。
そうすればどうしても捨てられないものが残る。
それが多分、一番大切なものなのだろうと思う。
死んだ後に何もモノが残っていないと淋しい気もするが、思い出は人の記憶の中に作ればいい。
というか、そうするべきなのだ。
個人的な思い出は死んだときにすべて消えてしまう。
モノはその思い出を孕んでいるが、他人にはきっとわからない。
どうしても残しておきたい思い出のモノがあったら、その思い出を他人に話せばいい。
そうすればその人も、そのモノによって思い出すことができるから。

捨てられないモノでよくあるのは、お年玉とかのポチ袋だ。
あれが捨てられない。
中身だけもらって外側はポイ、なんて、なんか心が痛む。
なので、机の中にしまっておく。
ポチ袋にメッセージが書いてあったりすると、余計に捨てられない。
結局今回の整理では、何も書いてないポチ袋は捨てられた。
メッセージ入りのものは捨てられなかった。
ここで感じたのは、一人で勝手に感じる後ろめたさや罪悪感なんてものは、ほんとうにどうでもいいことなのだということ。
その罪悪感なりを自分一人が感じることで、また感じて何か行動することで、誰かが不幸になったり幸せになったりはしない。
それで自己満足しているだけだったのだ。
ということが、なんか、痛烈に感じた。
だからといって人からもらったものを処分するのに心が痛まないわけではない。
すまん、の気持ちを添えて、捨てる。

自分がいままで人にあげたものが今どうなっているかなんてわからないし、その末路に興味はない。
そんなものの為に誰かが心を痛めているのだとしたら嫌だな、と思い、
独りよがりな罪悪感は無意味だ、やめよう、と思った次第だ。

中学校の時の修学旅行の文集が出て来て自分の作文を読み返したが、文章とか文体とか言葉使いとかがまったく同じだった。
何年も前に作ったものを見ると、ヘッタクソだなとか稚拙だとか恥ずかしい、とか思うか、よくできたなとかこの頃のパワーは今はないわ、とか思うかのどちらかなのだが。
多分当時は本を全く読んでいない。
これからも同じような感じで書くのだろう。

その文章、ここに掲載しようと思ったが、捨ててしまったのだった。
うおお。
こんなに早く後悔が来るとは。

まぁいいか…。

終了。

2012年7月19日木曜日

ケンブリッジについて

イギリス行った時の日誌を書きました。

出発前日(2012.06.28 AM 2:15)
出発当日(2012.06.28)
ケンブリッジ一日目(2012.06.29)
ケンブリッジ二日目(2012.06.30)
ケンブリッジ三日目(2012.07.01)
ケンブリッジ四日目(2012.07.02)
ケンブリッジ五日目(2012.07.03)
ケンブリッジ六日目 + 帰国(2012.07.04)
まとめ

いいとこだった( ゚ω゚)

まとめ


すっきりした。
自分のなかだけの世界だったものが、外とつながった。
単純に世界が広がった。
今までの人生は住んでる地域だけで構築されたものが全てだったので、それ以外の空気に初めて触れた。
心が軽くなった。
良い意味で自分がいなくなった。
自分探しの逆のようなもので、今までは世界に自分しかいなかったというか、中心が自分だったのが、その思考がほどけて自由になれた。
一人の人間としての弱さや強さ、できることとできないことがわかった気がした。
主観的な孤独ではなく、全体の中での個体を感じることができた。

心情的に、何か心の質が変わったのではなく、心の量が変わった気がする。

ケンブリッジは空気が好きだった。
雰囲気という意味ではなく、物理的な空気。
感動がじわじわ来た。
目の前にいきなりあらわれるのではなく、はじめからそこにあって、徐々に感じていく、満たされていく感じだ。
おそらく行きの電車で観た黄金の空は忘れられないだろう。

店で食べた料理もまずくはなかった。
入った店がたまたままずい店ではなかったというだけかもしれないが。

終了。

帰国(2012.07.04)

午前7時起床。
紅茶とヨーグルトと焼いたベーコンをはさんだパンを食べる。
諸々片付けてホテルを後にする。

天気は雨。
晴れたのは最初だけだったか。

出勤と通学の客で駅が混んでいる。
復路のチケットを自動改札機に入れるが通れない。
何故。
有効期限は過ぎていない。
焦る。
友人に助けてもらう。
オフピーク時のみ使えるチケットだったらしい。
追加の料金を払ってもらい改札を通る。
目当ての時間の列車に間に合わなかったので次の列車に乗る。

無事に着くことを祈る。

太陽の有無でこれほど景色が違うのかと思う。
行きの電車で観た黄金はなかった。

キングスクロス駅に到着。
地下鉄に乗り換えて空港に向かう。

ターミナルのある駅に到着。
荷物を預ける。
ゲートが開くまで時間があったのでカフェに入る。
ベックスというビールを頼む。
パブのいたるところにあって気になっていた。

ゲートを通って搭乗まで待つ。
成田行きなので大半が日本人。
あまり日本語を耳にしたくないが、リハビリ的にはちょうどいいかもしれない。
しかし言葉を聞いただけで勝手に思考が働くというのも厄介なものだ。
目には目蓋があるが、耳に耳蓋はない。

離陸。
窓側から二番目の席。
タイガーを頼む。

小袋に入った塩味のプレッツェルが食べたいのにどういうわけか開ける気がしない。
行きの飛行機でもそうだった。
食べるイメージが湧かない。
次の瞬間やらなければ、十分後も一時間後も明日になってもやらないだろう。
考えられる理由としては、食事がその内運ばれることと、プレッツェルの袋のデザインがかわいいからだろう。
開けてしまうとその瞬間にゴミになってしまう。
しかし開けないと袋は役目を全うできない。
世界一小さいジレンマだ。

本を読もう。

無事着陸。
電車に乗って自宅へ帰る。

終了。

ケンブリッジ五日目(2012.07.03)

夜に何回か目が覚める。
夜が短いからか眠りが浅いようだった。
午前7時起床。

コーヒーを淹れてヨーグルトを食べる。
ヨーグルトはチョコチップと一緒になったもの。
若干酸味が強いがチョコの甘さと食感でちょうど良い味わいに。

外に出る。
天気は曇りで時折雨が降る。
目的の店に着くがまだ開店していなかった。
ベンチに座る。
隣に老人が座り煙草を吸いはじめる。
なんとも言えない鈍色の匂いがする。
おもむろにからまれる。
英語のうえにじいさんなのでふがふがしている。
わからない。
アーユーチャイニーズと聞かれる。
中国人が多いのだろう。
写真を撮らせてもらう。
去る。

店が開いたので目的のものを買う。

さらに回る。

陽が出てくる。
このまま晴れてくれればいい。

ビールを包むための梱包剤を購入。
土産のめぼしいものを見つけて帰路に着く。
スーパーでキッシュとボイルされた小エビとオーロラソースがパッケージされたものを購入。

ホテルに帰宅。
電子レンジでキッシュを温めるが温めすぎて石のように固くなる。
食べられない。
小エビをつまむ。

荷物を整理する。
梱包剤でビールを包む。
どうか割れませんように。
友人の買ってきた出来合いのカレーとパスタ、スープを食べる。
やはりうまい。

再び外出。
タクシーを使って中心地まで。
初乗りは2.2ポンド。
0.2ポンドずつ加算されるのだがペースが早い。
着く頃には8ポンドになった。

目当ての土産を買い、さらに店を回る。

3日目に入ったパブ(ピザを食べたところ)に入り、エルディンガーヴァイスビアを頼む。

タクシーで帰宅。
一日6時間以上歩き回っているので疲れが溜まる。

クローネンブルグを飲みながら友人とパスタを作る。
ジェノベーゼとマヨネーズソースの二種類。
食べる。

文章をまとめる。

明日が早いので早々に眠る準備をする。

果たして無事に帰れるだろうか。