おぽぽ

おぽぽ
時系列グズグズブログ

2012年7月21日土曜日

部屋を片付けた、というか、変えた

実家で暮らしているので今の部屋に14年くらい住んでいる。
元々は三人兄弟で一つの部屋だったが、改築がありそれぞれの部屋をもらった。
当時中学二年生か、あまり覚えてない。

その日からずっとこの部屋で暮らしている。
一人暮らしはしたいと思っていたが、実家が東京で特にする必要がないのでしなかった。
自分の意志だけではなかなか決定できなかった。
多分何かきかっけがないと出来ない類のものだろう。

そんな具合で月日が過ぎた。
大掃除なんてものはあまりしたことがない。
整理や掃除はするが、溜め込んだものを捨てる機会がなかった。
その前にあまりモノを捨てられないのだ。
今捨てる必要ないだろうとか、とりあえずとっておこうとか、いつか使うときがあるんじゃないかとか、もし捨てて使う時があったらやだな、とか。
そういった理由でモノが増えていった。

ほぼ全て捨てた。
何日もかかった。
一部の壁も塗った。
先日のケンブリッジで泊まった部屋が全て白くペイントされていて、とても素敵だったのでそれを真似た。
具体的に言うと、天井と壁のつなぎの部分が木目のプラスチックだったのだが、そういった部分を白く塗った。
壁と天井の境界がなくなり、空間が広く感じられるようになった。
窓枠やクローゼットの縁、カーテンレールに関しても同じように白く塗った。
それぞれの輪郭がなくなり、一つの箱になった。
クローゼットは扉をはずして空間を広くした。

何年も壁にかけておいた絵(自分で描いたもの)をはずし、いくつもの止まった時計をはずした。
今の壁には何もかけていない。
画鋲やネジによる無数の穴があいているだけになった。

習慣的に時計のある方を向いてしまうのだが、そこには白い壁しかない。
ほんの一瞬だが、時間がどこにあるのかわからなくなる。
重力のように当たり前のようにそこにあったものから不意に解放されてしまった。
違う場所に時計は置いてあるのだが、時間の質が変わったような気がした。
というか、時間の流れが早くなった気がする。
慣れていないだけか。
もしかしたら時計を見る頻度で時間の流れの感じ方が変わるかもしれない。
もちろん、ずっと時計を見て過ごす一日と一度も時計を見ないで過ごす一日は違うのだろうけど。

モノを捨てるのは自分が死んでから遺族が整理する時だろうと思った。
生きてるうちに捨てるつもりなどなかった。
なので、モノを捨ててる時は、自分が死んだ気持ちになった。
あいつはこんな人生を送っていたのか、という気持ち。
こんな絵を描いていたり、こんな本を読んでいたり、こんな曲を聴いて生きてきたんだな、という気持ち。
自分がこんなに早く死ぬとは。
というか生きてるうちに死ぬとは思っていなかった。

今回のことで、生きてるうちにすべて捨てるのが良いと思った。
長い時間をかけてでも、持っているものはすべて捨てていく。
そうすればどうしても捨てられないものが残る。
それが多分、一番大切なものなのだろうと思う。
死んだ後に何もモノが残っていないと淋しい気もするが、思い出は人の記憶の中に作ればいい。
というか、そうするべきなのだ。
個人的な思い出は死んだときにすべて消えてしまう。
モノはその思い出を孕んでいるが、他人にはきっとわからない。
どうしても残しておきたい思い出のモノがあったら、その思い出を他人に話せばいい。
そうすればその人も、そのモノによって思い出すことができるから。

捨てられないモノでよくあるのは、お年玉とかのポチ袋だ。
あれが捨てられない。
中身だけもらって外側はポイ、なんて、なんか心が痛む。
なので、机の中にしまっておく。
ポチ袋にメッセージが書いてあったりすると、余計に捨てられない。
結局今回の整理では、何も書いてないポチ袋は捨てられた。
メッセージ入りのものは捨てられなかった。
ここで感じたのは、一人で勝手に感じる後ろめたさや罪悪感なんてものは、ほんとうにどうでもいいことなのだということ。
その罪悪感なりを自分一人が感じることで、また感じて何か行動することで、誰かが不幸になったり幸せになったりはしない。
それで自己満足しているだけだったのだ。
ということが、なんか、痛烈に感じた。
だからといって人からもらったものを処分するのに心が痛まないわけではない。
すまん、の気持ちを添えて、捨てる。

自分がいままで人にあげたものが今どうなっているかなんてわからないし、その末路に興味はない。
そんなものの為に誰かが心を痛めているのだとしたら嫌だな、と思い、
独りよがりな罪悪感は無意味だ、やめよう、と思った次第だ。

中学校の時の修学旅行の文集が出て来て自分の作文を読み返したが、文章とか文体とか言葉使いとかがまったく同じだった。
何年も前に作ったものを見ると、ヘッタクソだなとか稚拙だとか恥ずかしい、とか思うか、よくできたなとかこの頃のパワーは今はないわ、とか思うかのどちらかなのだが。
多分当時は本を全く読んでいない。
これからも同じような感じで書くのだろう。

その文章、ここに掲載しようと思ったが、捨ててしまったのだった。
うおお。
こんなに早く後悔が来るとは。

まぁいいか…。

終了。

0 件のコメント:

コメントを投稿